何故大道芸人になったのか?(長くて申し訳ないですが良ければ読んで下さい!)

 

私は東京で生まれ親の都合で1歳で宇治市に引っ越してきました。

家庭環境が家庭でした。

私が中学の頃から両親の夫婦喧嘩が増えてきて95年3月(当時中2)に学校から帰宅すると家具が全てなくなっていて母からの電話で離婚したから親父と住むかおかんと住むかどっちにするか聞かれ新たな家で母と兄の3人暮らしに。

私はそこまで父が嫌ではなかったので週3日ぐらい顔を出す生活。

そしてそんな生活を続け19歳になり母と兄が千葉県に行くけどどうするかと聞かれ1人宇治に残る事を選択。

01年に成人式を迎え式を終わると母から電話があり「お前の家決めたから」という事で今の家で01年1月から1人暮らしがスタート。

初めての水洗トイレ&自分の部屋を持ったもののこの頃バカな事に車1台とバイク2台分のローンを払いながらの1人暮らしで超貧乏生活。

 

そんな中出来た彼女の両親にどうしてもと頼まれ少ない全財産の半分を貸した上に借金の名義を貸して、それが悲劇の引き金となり裏切りに遭い自分で借金を返す事に。

会社では毎日グータラな上司と喧嘩しながら嫌々むっちゃ仕事をし毎日を過ごす。

仕舞いに自分は働いてほとんどの収入が人の借金に消え安月給でなかなか減らない借金、いつまでこんな生活を続けないといかんのかと死にたくなるようになる。

そんな時、04年10月にTVで観たマジックに衝撃を受け独学でマジックを始める。

お金がないのでひたすら宇治市中央図書館に通いマジックを勉強した。

そして05年1月に4歳からの持病、喘息の発作を起こし入院。

ベットで24歳の誕生日を迎える。

鼻には酸素マスクを、腕には点滴した状態でトランプ練習。

見回りの看護士さんにマジックを見せた事がきっかけで小児科のマジック好きな少年と出会う。

後に探偵ナイトスクープで探してもらった少年。

退院後も面会に行ってマジックを教わる。

ある日、とあるきっかけで人前でマジックをやる事に。

その時に見た子供達の笑顔に逆に感動をもらいこんな世界があるのかと思いプロマジシャンを目指す決意をする。

ようやく借金を返し終わり06年1月(ギリギリ24歳)で会社を退社。

東京で1人暮らしの母を電話で説得し30歳までやらしてくれと了承を得てアルバイトをしながら駅前でマジックを始める。

そして祇園のマジックバーの面接を受け合格し06年11月にデビュー。

土曜日だけマジックバーで修行しながら07年6月に運命のバイト先に。

トラックで酒を配達を開始。

面接にはひげを剃らずに行きツッコミを受けるもこの顔でプロマジシャン目指して頑張ってるんですと夢を熱く語って気に入ってもらえて即採用される。

社員の方が配達中にこの子マジックやってますねんと宣伝をしてくれて得意先からマジックショーの依頼をもらい活動の幅を広げる。

しかし08年9月22日午後7時40分、バイト先の帰りにひき逃げ事故に遭遇。

右手の小指は脱臼し関節が外れた状態、右手首は信じられないほど腫れ上がり右の肋骨は2本骨折し両膝打撲の重傷。

右頬は裂傷し5針縫う。

更には12月の繁忙期までにバイト復帰が無理なら申し訳ないけど新人を入れないといけないという事で大変お世話になった会社を自主退職。

これで収入もなくなるしマジック人生が終わったと覚悟を決める。

しかしストリートで出会った子供達や仲間から励ましの言葉を沢山もらい復活を決意。

約10ヶ月のリハビリを頑張って復活!

これを機にマジック一本でやってやると決意!

失敗した時は死ぬ!と覚悟を決めました!

09年7月(当時28歳)に当時週末だけ入っていたマジックバーのマスターがボール3つをジャグリングしているのを見て興味を持ってジャグリングをスタート。大道芸人を目指す事に。

人と同じ事をやっていてはこの世界で生き抜いていけんだろうと思い10年10月に一升瓶に乗ってみる。

前例のない事だったので割れたら大怪我するだろうと恐怖を感じながら1歩踏み出してみようと乗ってみた一升瓶芸でテレビに3本出演し11年の大道芸の大会で審査員特別賞を受賞!

パフォーマンスを通じてこれまでの人生経験で学んだ事を伝えていけたらと思います!

初めの1歩を踏み出す勇気、そして諦めない心を伝えて生きたいと思います!

そして子供達には夢を持つ事、自分らしい人生を歩む事の素晴らしさを伝えていきたい!

そんな思いで死ぬまで大道芸人を続けていくつもりです!

少しでもこの文を読んで私に興味を持っていただけたら幸いです!

最後まで読んでいただきましてありがとうございました!

最後に私が1番好きな言葉は「最大の失敗とは挑戦をしない事」

これからもドンドン色んな事に挑戦していきたいと思います!!